手元に集まった生花をドライフラワーにした。やがて数ヶ月が経ち水分が抜けきる寸前、再びそれらがにおい出した。匂いではない、におい。2、3日ほどのこと。死ぬ間際の力強さ、生きることへの執着のようなものを感じ、作品にしたいと思ったという。においが消えた時、本当に死を迎えたように感じた。とはいうものの、そうなっても尚、画面の上で体液を染み出させる。
生活の拠点が変わり、自然が近くなったことで知る。刻々と変わっていく景色は、美しいものばかりで出来ている訳ではない。グロテスクで恐ろしい、極ささやかで彩度を失った、そんな世界の構成要素に自然にフォーカスが合った。分解者によって行なわれる再生の儀式、一瞬一瞬がつながり時となり、数多の命、また死を糧にして巡っている。「生」というと明るいイメージを持ってしまいがちだが、ネガティブな力を借りて「生」を表したかったのだという。例え、色鮮やかでなくてもよい、 孵卵/腐乱。そこにはまた、死の過程も含まれていることを忘れないように。そうして再び、生へと向かうよう祈りにも似た思いを込めて。