私は自分の作品を、ひっきりなしに始まるもの -常にエラーを修正し続けるもの- だと考えています。暗闇の中で手探りするように、私は自分の進むべき道を間違えます。私の制作方法は、むしろ出口を探すようなものです。
私は、ひとつずつの物事にあまり集中しすぎないようにしています。そうすることで立ち止まらずにすみます。人は深みにはまると結局、表層にもどることになると思います。
だから私は動き続けます。私の戦略は、物事の起こる背景に気づくことです。対象が現れたら、それは悪魔と踊るようなものです。悪魔と踊って初めて作品となります。
結局、取り除くことのできない唯一の出発点はいつも私自身の身体でした。その制約、認識、そしてアイデンティティは、作品の動力となります。私の作品は今日に至るまで、ここから発展してきました。
そのため、私は早くから、アートプロジェクトの実現にまつわるすべてのことを、作品のテーマとするようになりました。作品そのものは徐々に消えました。私が動いた周辺が穴となって、出来事や物事の輪ができます。展覧会までの道のりが、展覧会のテーマとなります。
このようにして、時間は彫刻家である私にとっての素材となりました。行為そのものが彫刻になるのです。出来上がったビデオ自体が、次の作品の素材になります。いわば、ビデオの新陳代謝が起こるのです。
こうして私は、唾を吐き、舐め、蹴る彫刻家になったのです。
ラルフ・フリッツ・ベルガー
2023年 名古屋