世界の大きな転換期すら、湯浅未浦にとっては「特別な時間をもらえた」ギフトであったという。 閉塞感は特に感じなかった。「人生の中で、これだけ制作だけに打ち込める時間を得られたことなどなかったですから」。 実際、彼女以外の作家からも、この時世で制作が捗ったとの言葉を何度か耳にしたことがある。
形を作るだけがものづくりではない、たっぷりと時間をかけて目の前の対象とやりとりをする。 途切れ途切れの時間では中々、深いところまで辿り着くのは難しい。 どっぷりと打ち込むうちに、見えてきたものがあった。刻むものが具象であれ抽象であれ、 これまでも分け隔てなく向かっていたいと思っていたが、どこかで差異も感じていた。 その距離が随分と縮まった、と。具象、抽象関わらず、より感覚的なやりとりで彫刻できるようになったそうだ。
「今まで知らなかった自分にも出会えた気がします」とも口にする。 ドローイング的な作品に意欲的に取り組み、これまで一切、興味が持てず、拒否反応さえ示していた「色」にも挑みはじめた。 これには本人さえも大きな驚きで、「自分でも不思議で、何故だか理由が全くわからない」らしい。 ウイルスは忌み嫌うべき存在ではあるが、皮肉にも時間という名の賜物をもたらした。 自身に起こった変化の数々にいささか面食らいながらも、今日も湯浅は木を彫り何かを刻む。