坂田英三は、2011年の原子力発電所事故を契機に、環境をテーマにしたインスタレーションの制作から身をひいている。代わりに、1日1枚ずつ描くことをはじめた。一昨年の夏、彼が新たに手にとったのは、海水そして墨汁だった。塩水や雨によるドローイングはこれまでも行ってきたが、墨を画材に選んだことでより描くことにどん欲になり、モチーフを精査するようになったのでは、と思えばそうでもないらしい。具象と抽象程度の選択は事前になされるが、それとて「和食か洋食かをを選ぶようなものですよ」といつもの飄々とした口ぶり。「昨日のメニューは何だったかしら」という具合だ。
かねてより「自分の手を離れたところにあるものの力を借り、どう世界をみて、許容しているかを再認識し、具現化していきたい」と坂田は話してきた。そして今、「ニースの海水」「ペルーの海水」など友人に持ち帰ってもらった、様々な海の水と墨でドローイングを試みる。海水温、塩分含有量、制作環境、滲みや垂れも重なり一筋縄ではいかない。外的要因に大きく左右される制作方法ゆえに、「思考が意味をなさない」とさえ言い放つ。しかし「ほとんど何も思わないように」描くからこそ、意識、無意識が混濁して反映され、その日その時にしか描けないものが生み出されるのだろう。
作家が偶然に身を委ねるように、そこに何をみるかは鑑賞者に委ねられる。地層も神話も風景も、卵もドレスも女も、哀しみや畏れ、愉楽などの感情も、散り散りの積み重ねが年月であり人生となる。デイリードローイングは、その日をくぐり抜けたことの証明書。「今日」という1日を通り過ぎ、明日へと渡るパスポートなのかもしれない。